伝える事は大切。でも伝え方はもっと大切。
伝え方によってその伝えたい内容が良いようにも悪いようにもなる
今月の後半から自社でのシャンプーレッスンが始まります。(新人が入ってくるから)
そこで、ある日の営業後アシスタント全員のシャンプーレッスンをしました。もちろん私たちスタイリストも見るのですが、実際にシャンプーを教えるのは直属の先輩なので、その子たちの技術共有をする必要があり、そのために今回はアシスタントのみのチェック会でした。
(シャンプーは、入社して一番最初ににゅう客させてもらえる技術でレッスンをして全てのスタイリストからの合格を貰えないとお客様のシャンプーはさせてもらえません。しかもシャンプーの上手い下手でお客様から支持されたりするので自分のモチベーションにも関わってきます)
そのチェック会の間、私は別の仕事があったため同じフロアにはいたんですがパソコン作業をしていました。
その作業が終わったと同時にシャンプーのチェック会が終わったみたいなのですが、
そこで先輩から後輩への言葉を聞いて気になった点がいくつかあります
- "全く気持ち良くなかったこれだと失客する"
- 褒めれるところが1つもない
- 甘ったれている、楽しく優しくしてもらって甘ったれてるんじゃないか
- この一年間何やってきたんだ?これだと先輩のやってきた大切なシャンプーが全く意味がない
- ヘタクソ!これ以外に言えることがない
- 丁寧さがない、とにかく雑
という内容だったのですがその先輩と後輩は働く場所は違います。私の下で働いている子が後輩なのですが、私は "自分の不行き届き" "もっとちゃんとみてあげないといけなかった" という気持ちと同時に "なんだかすごく嫌な言い方だな" とも思いました。
自分的分析ですが、
人って言われた通りの人間になろうとする力が無意識的に働くのではないか
と思っています。
無意識に、言われた通りの人間になろうとする、そういう人間だと思い込んでしまう。
"ユカちゃん絵がうまいやん!めっちゃ上手!ママはユカちゃんの絵の才能は誰の血か分からん!おかしいな!ママは絵が独創的ってよく言われるねんけどなぁ!"
これは小学生の頃私の母がよく言ってた言葉です。小学生の子に言ってる言葉なのできっとそんなに絵が上手だったわけじゃないと思います。それでもその言葉で私は絵が好きになりました。(うまい下手はべつとして…)
そうするとたくさん絵を描きたくなるし描くようになります。そしたら少しずつ他の人からも褒められるようになって、今でもたまに絵を描いたりします。
もしあの当時、母が私の絵を見て
"ヘタクソ!こんな絵褒められるところが1つもない!"
と言われていたらきっと今のように絵を描くことも嫌いになっていたと思います。
きっと、そう言わらたからそういう自分になりきっているのだと思います。
"ヘタクソ!雑!気持ち良さがない!褒められるところが1つもない!"
これだけ見ると、ちゃんと言ってくれて凄く良い先輩じゃないか。後輩を育てようとする気持ちからの言葉でしょ!良いじゃない!この言葉をバネにしてがんばるんだ!
と思う方もいるかもしれません。
果たしてほんとうにそうでしょうか???
人によるかもしれませんが、その言葉だけをバネにして頑張れるのでしょうか?
罵声を浴びせられながらがんばる人が偉くて
要領良くそつなくこなしながらがんばる人は努力が足りないでしょうか?
褒められること、ほんとに1つもなかったのでしょうか?
私はどちらかというと器用です。むしろめちゃくちゃ器用な方かもしれません。それが良くないのですが、アシスタント時代練習をサクッと終わらせたりカリキュラムも早く進むのであまり躓くことなく進んできました。しかし同期はどちらかというと器用な方では有りませんでした。なので、カリキュラムの進行も遅く、何度も何度もテストで落とされて必至に練習をしてきました。
受けてきたテストは同じです。
それでも、同期の子の方が偉いように見えませんか??
(私も実際そう思います)
でも、私は怠けたり美容師嫌だ!練習嫌だ!と投げ出していた訳でもありません。
淡々と進んでいっていただけで
私より同期の子の方が努力をして頑張っていたと誰もが思っているのです。
(私も否定はしませんが)
技術の世界では怒られてボコボコにされて毎日否定されてきた人たちが多いです。そういう風に育ってきた方はそういう風に育てる方法しか知りません。なのでいつまでたってもこのやり方が消えないわけです。でも私はもう少し伝え方を工夫しても良いのではないか?と思います。
"優しく、甘やかして、辞めさせないように"
するわけではありません。
"ヘタクソ!から始めるとヘタクソが育つ"
"上手くなるよ!から始めると上手くなる"
そんな考え方です。
例えば、
"丁寧にシャンプーをしようとしてくれているのかもしれないけどまだまだ雑さが残っているから気持ちのいいシャンプーとはまだ言えない。もっと気持ちいシャンプーをするんだ!という気持ちでシャンプーするともっと上手くなるよ!"
結局伝え方変わっただけで遠回しにヘタクソなのにっていってるみたいなもんやん!と思われるかもしれません。
こんなんで本当につたわるのかよとも、思うかもしれません。
それでも私は否定よりも肯定から入った方が聞き入れやすいし受け入れやすいと思っています。
実際に、先輩からの圧があり毎日のように怒られまくっている子を知っていますが、凄く凄くビクビクとしていてもう働き始めて3年目なのにお客様からは"新人の子かと思った"と言われてしまったり"まだまだ他のスタッフの方みたいにはいかないね"などの声を聞いたりすることが有ります。
もっと安心感が必要なんじゃないか
毎日何かに怯えて、これをしたら怒られるかも知れないけどしない方が怒られるかも知れない。と、全てを怒られる前提で考えてしまっていて本当に良いサービスができるでしょうか?
こうしたら喜んでもらえるかもしれない。と思って行動を出来るように先輩は後輩を育てなければいけないんじゃないか。
そんな課題を最近見つけました。
たとえ、その先輩後輩である当事者たちが納得していたとしても、今回の私のように、聞いている側からすると違和感を感じたりすることもある。
昨日実際にヘタクソ!気持ちよくない!と言われてしまったその後輩にシャンプーをしてもらいました。
私はそこまで不愉快なシャンプーとは感じませんでした。たしかにまだまだ上手で気持ちいい!とは言えないものだったかもしれませんが、適当にやり過ごそうとしてやるようなシャンプーでは決してなかったし、その後輩なりの一番気持ちいいシャンプーをしてくれたと思います。なのでそのように伝えましたが、
同じくもう一人のスタイリストも後輩からシャンプーをしてもらいました。前回先輩から言われた内容をそのスタイリストに伝えてから見てもらったそうなのですが、
そのスタイリストはそのシャンプーで不愉快になったそうです。
なぜでしょうか?
それは多分事前に"ヘタクソ"という前情報があったからです。
そこまで上手じゃなくても
この子上手だから気持ちいいシャンプーしてくれるよ!というのと
そこまで上手じゃなくて
この子あんまり上手じゃないんだけどしっかりシャンプーしてくれるよ!
ではきっと感じ方も違いますよね??
結局、伝え方次第なのです。
今回はシャンプーでのお話でしたがきっとどんなことにも共通すると思います。
本当に教育者としてちゃんと後輩を育てていきたかったらやはり伝え方はとても大切なんだと思います。
まずは肯定をすることを忘れずに伝えてみてください。
きっと良い子に育って後の自分がとても仕事のしやすい環境になってくると思います。
伝える事は大切ですが、伝え方はもっともっと大切です。
伝える事だけに、意識を取られて言葉のナイフを投げつけて切りつけるよりも、言葉のナイフやフォークをきちんと使えるように手渡してあげられるような、そんな先輩に私もなっていきたいと思います。
もうすぐ4月。
待ってろ4月!!!!!